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のとびと
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藤平朝雄さん(輪島市)

能登半島広域観光協会 相談役

能登の旅・案内人
東京都目黒区出身と聞いてもピンとこないほど、能登になじんでいる藤平さん。昭和44年(1969)年から能登に住み、すでに40年。能登の語り部として内外で活躍し、能登の魅力を発信し続けています。
心華舎(しんげしゃ)
〒928-0206 輪島市町野町曽々木オ部19-1
TEL&FAX 0768-32-1146

※記事内容は取材時のものです。掲載情報変更の場合があります。
ご利用・お出かけの際は、お問い合わせ先などでご確認ください。

◆旅人から住人へ
  ご自宅がある曽々木を千体地蔵から見下ろす
  ご自宅がある曽々木を千体地蔵から見下ろす
 能登には多くの旅人が定住するようになっていますが、藤平さんはその典型です。都内の企業を脱サラしたあと、3年半にわたって北海道から沖縄までを働きながら旅し、その途中に現在お住まいの曽々木に寄っています。その際、3ケ月間も滞在し、現在の奥様の父親が経営されていたユースホステルの手伝いをされていました。国内一周の旅を終えて、能登に移り住みました。
◆キリコ会館館長
 長年、輪島のキリコ会館の館長をされていたので、能登の祭りについては極めて造詣が深い。祭りだけでなく、能登の歴史や文化などについても広く研究され、数冊の著書にまとめられるとともに、各地で講演をされたり、客人をガイドされたりと、活躍されています。
◆タブノキ
  タブノキの苗をたくさん育てています
  タブノキの苗をたくさん育てています
 藤平さんのご自宅は曽々木の窓岩のすぐそばにあります。庭から窓岩が見える位置にあり海に面しているので、海側に間垣を設けてあります。海沿いにはハマナスを植え、庭にはタブノキを植えています。
 平成19年、能登半島広域観光協会の総会で能登の木と花を制定されました。花は「のとキリシマツツジ」、木は「タブノキ」に決まりました。タブノキは縄文時代から今日まで、能登にずっと居続けていて、今に能登に沢山生えている木です。神社や寺院、旧家の庭等に多くの巨樹が見られます。タブノキは魂が宿る木として大切にされてきた歴史があり、それで多く残されてきたものと考えられています。
 能登のタブノキに最も注目した人は国文学者で歌人の折口信夫(釈迢空)です。折口信夫は、その著書『古代研究(全3巻)』の口絵写真で、「漂着神を祀ったたぶの杜」として気多大社の社叢林など、8点の写真を紹介しています。藤平さんも『タブノキは残った』という著書を出されています。タブノキだけでも語る事は尽きません。
◆ローエル
 明治22(1889)年5月8日、氷見から荒山峠を越えて一人のアメリカ人が能登に入りまし。天文学者のパーシヴァル・ローエルです。後に『NOTOー能登・人に知られぬ日本の辺境』と題する紀行文を著わしていますが、能登に滞在していたのは2泊3日です。ローエルのような能登を旅した先人の足跡を訪ねる旅も十分魅力的ではないかと、「パーシヴァル・ローエル『能登路』足跡探訪ツアー」も企画し、ガイドをつとめています。
◆新民謡
 北陸新幹線開業に向けた魅力づくりとして取り組んでいるのが、新民謡の創作です。歌詞はすでに出来ており、曲名は「能登キリシマ節」「能登の海唄」「おさよ恋唄」「曽々木かもめ節」で、振り付けも入る予定です。作曲は新民謡を数多く手がけている原賢一氏に依頼されており、すでに2曲はでき、残り2曲も作曲中とのことです。
◆観光の未来
  「能登劇場八十八景」(写真は渋谷利雄氏)
  「能登劇場八十八景」(写真は渋谷利雄氏)
 能登半島観光協会相談役、石川県観光スペシャルガイド、ほっと石川観光マイスターなどの肩書きを持ちつつ、現状の能登観光については辛口の評価をされています。奥行きの深い能登を体感していただけるようなプログラムづくりの必要性を説かれています。そのために、最近特に力を入れているのは、加賀百万石十三代藩主・前田斉泰(なりやす)公の能登巡見の旅をまとめることです。能登を一巡した加賀藩主は唯一人とのことで、22日をかけて、能登をめぐっています。そのような歴史的な旅を振り返ることを通じて、次代に通用する能登の旅を提案すべきであるとの発想です。
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