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中野 隆義さん・眞由美さん

中野 隆義・眞由美(なかの たかよし・まゆみ)

能登 山河工房

「蒔絵屏風」で夫婦の技を結集
蒔絵職人のご主人と表具師の奥様がそれぞれの技を活かして創作した蒔絵屏風。お客様のご要望も踏まえ、新たな作品づくりを続ける。
能登 山河工房・ギャラリー樂(工房内)
〒928-0251 石川県輪島市小田屋町1部35番地2
TEL 0768-34-1253

※記事内容は取材時のものです。掲載情報変更の場合があります。
ご利用・お出かけの際は、お問い合わせ先などでご確認ください。

■棗(なつめ)を中心に蒔絵を描いてきた
高校卒業後すぐ輪島の親方に弟子入りし、以来30年になります。親方のところには都合8年通い、結婚して長女が生まれる年からの3年間は、輪島の漆芸技術研修所にも通いながらでした。卒業してお礼奉公をしている頃に、それまでのお椀やテーブルに蒔絵を描く仕事から、棗をやりたいと思い始め、再度別の方のところに弟子入り。ちょうどバブル手前で仕事があり「30歳になったら独立させてやる」との言葉通り2年後に独立。問屋さん一社からの仕事だけで十分でした。
バブルが弾けた後もお茶の世界だけは影響が薄く、棗で何とか食べていけたのが、5~6年前(2002~2003年)頃から難しくなっていきました。
■「蒔絵屏風」で新境地
「蒔絵屏風」は、私たち夫婦ならではの独自の作品ジャンルを確立することができたと思います。それ以前は、100%問屋さんからの仕事をしていて、自分の名前で作品を販売したことはありませんでした。
「このままじゃいかん、私たちにしか出来ない新たなものができないか?!」と考え抜いて生まれたのが、「蒔絵屏風」でした。「女房が表具職人をしているから、その表具の技と蒔絵の技を一つの作品の中に合わせて組み込み、蒔絵屏風を作ろう」と、建具屋さんと3人で1年かけ、いろんな人のアドバイスも受けてつくりました。
■奥様は表具職人
女房は、父親が建具をしていたので、その希望もあって表具職人になりました。こちらも高校卒業してすぐ弟子に行ったから、スタートは私と一緒です。向こう見ずにもいきなり京都に行って、職業安定所で「女性の募集なんてないですよね」と窓口に行き、数件あった男の人の募集先に出向いた。最初に行ったところの大将が、「ここで修業しなさい」と言って下さって住み込みで弟子入り。男の人は奥のほうで何人も一緒に寝るのですが、「お前は女の子やから」と仕事場に3畳の部屋を造ってもらって3年間。その後能登に戻ってきて、親父さんが作った戸に紙を貼ったり、ほかの工務店さんからの仕事を引き受けたりしながら、主にふすまの張替を中心に家でやっていました。
■あえて「輪島」と謳わない道を選択
そんな夫婦の職人技を合わせた「蒔絵屏風」を持って、営業に回ってみて感じたのは、「輪島塗」というブランドの強さでした。たとえば虎ノ門の有名ホテルにインテリアとして提案したときも、じかに手で触っている我々と違い、先方は白い手袋でうやうやしく扱われる。ホテルのテナントに勤めている方も、輪島塗をそんな風に扱われ、いかに輪島塗が畏れ多い工芸品と思われているのかと愕然としました。
この経験を踏まえて、うちから出す品物には「輪島塗」という言葉を一切使わないことにしました。「その代わり、看板に“能登”って付けよう」と。
■お客様のうれしい顔
先日の百貨店催事に、以前に屏風をお買い上げくださった方が来てくださいまして、「あの屏風、買って良かったわ」って本当にうれしそうな顔で言って下さいました。他にも、「今でも大切にしてるわよ」ってお手紙やメールをいただいたり、我々の作ったものを「良いねぇ」って言って下さる方がいらっしゃいます。
■気持ちが「ほっ」とする商品を届けたい
私や女房がやっているものは、生活にどうしても必要ってものじゃ無い。少しずつ頑張っているのですが、まだなかなか成果に表れず、「何を目指していけば良いのか。どうして生き残っていけば良いか」と、ちょっと気持ちがグラグラすることも正直あります。
でも逆に、こんな世の中やからこそ、うちらの作ったもので人が「ほっ」としたり、しあわせな気分になってくれれば良いなと思うのです。
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