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中瀬 精一さん

中瀬 精一(なかせ せいいち)

能登の民話を集めた人

昔の住まいは囲炉裏を囲んで、
毎日家族で語り合う時間があった

小学校教員生活9ヶ月で満州に出征。終戦後のシベリア抑留を経て復員後、生家で農業に従事。
そのかたわら、長年にわたって能登の民話収集を続け、地域には民話を語る会が発足している。著書に、「百姓覚えた者はない」、「柳田(やないだ)の民話」など。

※記事内容は取材時のものです。掲載情報変更の場合があります。
ご利用・お出かけの際は、お問い合わせ先などでご確認ください。

■囲炉裏は家族の真ん中
昔の人は、朝から晩まで囲炉裏を囲んで暮らしていた。冬は特に囲炉裏を囲んで夜なべ仕事をした。
囲炉裏は作業場で、家族の座る場所も決まっていて、子どもは渋柿のように並んで座っていたもの。兄弟は7人もおった。何か話さないといられない。毎日話し合いの時間があった。
■能登の昔語りの決まり文句とは
昔話というものは、大体5分くらい。長くて10分。柳田の有名な昔話、猿鬼の話でも5分。私の書いた昔話は10分。すぐ終わる。
だからいくつもせがまれたが、おしまいにする時は、「ソレキリベッチャリ、ナンバ味噌!アエテ喰ッタラ辛カッタ」という決まり文句で終わった。
■昔話は実生活とつながっていた
ばあちゃんは物知りだったのか、その時に昔話をたくさん聞いた。物語だけでなく、飢饉の体験など、年寄りの経験談があった。その辺にいっぱい話があった。
昔の話といっても、当事者や関係者がいっぱいいたりするので、名前を変えて語っていた。一番多く聞いたのは、「さんにょもん話」。
昔話には物語と生活の知恵がある。傷の手当ての薬草の話もあった。
■今の暮らしのコミュニケーション
今の暮らしは、若い者と全然話ができない。生活の知恵を伝えられないのは残念なこと。料理も若い人に任せてあるから、昔の食べ物を食べることはない。野菜も買ってくるから、作る必要もなくなった。
昔の食生活を伝えることは難しい。
■能登の話と経験を本にした
大正9年、柳田村字上町で農家の長男として生まれた。昭和15年石川県小学校教員検定に合格。翌年の昭和16年から、教員生活9ヶ月で現役兵として満州に出征し、終戦後は捕虜としてソ連・イルクーツクで抑留生活も経験した。
昭和23年舞鶴に復員して以後、生家で農業に従事するかたわら、民話収集等を続けた。著書として、「百姓覚えた者はない」、「柳田(やないだ)の民話」、「土の年輪」、「シベリアの歌」、「忘れられしものへの挽歌」などがある。
(NPO法人能登ネットワーク発行『能登人』の記事をベースに制作)
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