能登スタイル

パソコン版スマートフォン版

<広告>


のとびと
<広告>

下池 外巳造さん

下池外巳造さん写真

高浜牧場

県内有数の畜産家
大学卒業と同時に家業に従事するようになり、すでに33年。生き物を育てる仕事の必要性を考え、その魅力を語り、畜産の将来を常に考えている。
高浜牧場
〒925-0154 石川県羽咋郡志賀町字末吉相瀬18の1
TEL 0767-32-266 FAX 0767-32-3306

※記事内容は取材時のものです。掲載情報変更の場合があります。
ご利用・お出かけの際は、お問い合わせ先などでご確認ください。

■畜産を始めて33年
父親の代から畜産をやっていたが、当初は継ぐつもりはなかった。大学3年の時に、家業を手伝っていた次兄が亡くなった。父親は継がなくても良いと言ってくれたが、継ぐことにした。長男も勤めていたが、途中でやめて戻ってきて、家業をついでいた。大学は農獣医学部で食品加工について学んでおり、食品加工会社にでも勤めるつもりでいた。
■小さい時から動物と暮らしてきた
物心ついた時には、馬、牛、豚がいた。馬は荷車をひくためや農耕用に飼っていた。祖父は戦争に従軍し、軍隊で経験してきた蹄鉄業を家業としてやっていた。父親の代から肉用の牛を飼い始め、豚も飼うようになった。さらに、頼まれて乳牛も飼い始め、私が7歳の時から26歳まで乳牛を飼っていた。
■牛肉を食べ始めたのは明治以降
近江地方は明治以前にも牛肉を食べていたようだが、みそ漬けにして将軍家に献上していた記録が残っています。日本国内では明治になってから、牛肉を食べるようになった。牛乳も西洋人が入ってきて、日本でも牛乳が飲みたいということでホルスタイン種を持ち込んできた。そこで、これは商売になるということで、岩崎弥太郎氏が小岩井牧場を創設。その時に導入したのもホルスタイン種、それが日本の酪農の始まりでした。
■能登は農耕用の牛が活用されていた
戦後、天狗中田さんから頼まれて、石川県人として初めて群馬に買い付けに行った。肉牛を買って、貨車で運んできた。昭和28年生まれだが、物心ついた時には、家で牛を飼っていた。馬や豚も同時に買い付けてきていた。昭和30年代の終わりごろには、農耕や運搬用の馬が少なくなり、耕耘機やオート三輪に転換していった。
■能登牛
能登牛は月に20から30頭しか競りに出ない。まぼろしの能登牛になっている。A5ランクは10頭に満たない。飼い方で、成長が異なり、ゆったりとした空間で、飼料管理もしっかり行うことで、よい成績になっています。買ってきた10ヶ月ぐらいの子牛をまず慣れさせるために1ケ月ほどかけ、それから前期段階、中期段階、後期段階と飼料を変えていく。そうして、30ヶ月以上育てたものを出荷しています。
■豚の育て方
最初の母乳から始まり、代用ミルクになり、それも3段階から4段階で徐々に変えて与え続けて、ようやく子豚用の餌に変わります。それから、肉豚用の餌に変わります。豚はデリケートで、こまめに世話をしないといけない。小さいときほど、手間をかけないといけないし、ワクチンを打ったり、消毒したりもします。
■仕事の魅力
自分で育てたものがよく評価されることが喜び。それは農家に共通していることかもしれない。いい価格で買っていただけると、がんばった甲斐があります。結果が出るまで時間はかかりますが、その間の苦労が報われる時があることが大事。世の中に受け入れられ、評価されることが大事です。相場はどうしようもないが、努力を重ねること、自信を持って出せること、納得いくものを出すことです。
<広告>

PR

能登の産品を販売中!能登スタイルストア

加能ガニ

志賀のころ柿

広告募集