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学生プロジェクト

能登の音風景 叩き堂祭り


 1.序~「叩き堂祭り」とは~祭りの準備

■序
 能登にはいろいろな祭りが残っている。一つ一つの祭りをじっくり観察してみると非常に面白い。単に変わっているとか、見た目がすごいとかいうことではなく、歴史や風土に触れるという知的な楽しみに満ちているのである。しかし、人口の減少によって、このような貴重な祭りも存亡の危機にある。当ゼミでは祭りにかかわる人々の意識調査を行った。その成果から、祭りをとらえなおしてみたい。
■「叩き堂祭り」とは
図:能登半島における片岩の位置
図:能登半島における片岩の位置
 奥能登の海辺に片岩という集落がある。輪島よりさらに半島の先端に近い。最近は能登空港もできたので、東京からの交通の便は良くなった。この町では毎年1月6日に氏神の白山神社で祭りが行われる。集落の裏手にある山奥にすみついていたヒヒ(猿神)を修験者(武士という言い伝えもある)が退治したという出来事に基づいた祭り、「叩き堂祭り」である。この祭りの様相について、特に「音風景」という視点からとらえて行きたい。
■祭りの準備
写真1:若木迎え 傾斜地にある赤タブの大木に登り、恵方の枝を切る。
写真1:若木迎え
傾斜地にある赤タブの大木に登り、恵方の枝を切る。
 その日の朝は静かな緊張感に包まれてはじまる。まずは、「若木迎えの儀」が行われる。神社の裏に石段があり、登っていくと大きな赤タブの木がある。お神酒を供え、うやうやしい口上を唱えるのは、その木が神木格であることを示している。赤タブの木はこの地域には多く自生しているがその木だけは特別に良い香りがするといわれている。裸足になって木に登り、その年の恵方(*注)の枝を切る。
*注
「恵方」とは、歳徳神(としとくじん:方位神の一つで、その年の福徳を司る吉神)の在する方位を指す。その方角を向いて事を行うと吉とされている。節分に恵方を向いて食べる巻き寿司「恵方巻き」で知っておられる方も多いのでは。

 当番の家では祭りに供される料理の準備が始まる。銀杏切りにした大根を軽く炒め少量の味噌とナンバン(唐辛子)であえたもの、大根を短冊に切ってイシルにつけたもの、塩味に浸した豆腐といったものだ。大根を薄く切る時のトントントントンという音が小気味よく響く。最近は家庭用のまな板はただの板、しかも木ではなくプラスチックだったりするが、そのまな板は木製で下駄のような足のついたもの。これも現代では珍しい。打楽器のように心地よい響きである。豆腐もかつては手作りしていたという。庭に大釜を据えて作るのは大変な作業だったらしい。
 神前に供えるシロモチもこのときに作る。蒸した米をつくのではなく、生米をすりこぎで水とともに丹念にすり、それを藁を敷いたお盆の上で固めただけのもの。全国的にはおしろい餅(白粉餅)といわれているもので、粢(しとぎ)とも呼ばれる。加熱調理が広まる以前の穀類の食べ方だという。印象的なのはその白さ。普通の餅はどうしても不透明な濁りがあるが、生米の白餅は雪のように白い。
 
写真2:料理の様子 奥で大根のキンピラを火にかけ、手前では、シロモチをすっている。
写真2:料理の様子
奥で大根のキンピラを火にかけ、手前では、シロモチをすっている。
  写真3:料理の様子 大根を銀杏切りにしているところ。
写真3:料理の様子
大根を銀杏切りにしているところ。

 集落内では木を切ったり削ったりする作業の音が響く。各家庭で、家にいる男性の人数分のバイ(木の棒)を作るためだ。手ごろな太さのケヤキの枝を白木にする。また、昔は箸もこの日のためだけのものを作ったという。この地域に多く自生するヌルデというウルシ科の木(能登地域ではカツキと呼ばれている)を使ったという。この木は、カチノキという別名があるが、これは蘇我馬子と物部守屋の戦いに際して、聖徳太子がこの木で仏像を作り、馬子の戦勝を祈願したとの伝承からきている。ヒヒに打ち勝つという願いを込めてカツキを用いたのだろう。ヌルデを使うことの理由は伝承として残っておらず、本当のところは謎である。
 
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