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学生プロジェクト

観光客のキリコ祭り体験2


2.歴史・伝統・観光利用からみたキリコ祭り

■キリコ祭りの歴史
 正保3年(1647年)の輪島住吉神社の祭礼定書という文献にキリコ祭りのことが記録されている。この定書には、神輿のお供をするキリコのことや他地域から祭りを見物しに来た人たちで賑わう当時の様子が書かれている。ここに記録されているキリコは現在のキリコの原型と言われる笹キリコ(現在の子供用キリコ)をさしているようである。現在のキリコと考えられる記録は、文化5年(1808年)の町方規定に見られる。この頃は、日本海側の北陸を港として大阪から北海道を結ぶ北前船が活躍し、港町であった輪島やその周辺の経済基盤が強固になり、能登キリコも巨大化、装飾などによる風流化が進み現在のキリコに近づいたのではないかと考えられる。文化8年(1811年)の穴水町内浦では狂歌と浮世絵の一種である鳥羽絵が描かれた高さ11メートルものキリコが太鼓・笛・鉦(かね)と共に練り歩いたようである。ちなみに、1800年ごろを境に、能登のキリコと同様に青森のねぶた祭り、秋田の灯篭祭りなどでも巨大化が進んだとみられる。これはやはり北前船の影響で、情報と文化が伝播していたためである。形状や祭りの様子には違いがあるが、北陸から東北にかけての日本海側で灯篭行事が盛んなこともこの影響の表れだろう。
 また、能登の夏祭りの多くが納涼祭りと呼ばれることから、夏に行われるキリコ祭りの起源は、お涼み願い祭りと解釈されている。さらに辿れば、6月末日に行われていた心身の汚れを祓い清浄を期した夏祓いの行事である夏越の神事に由来するものとも考えられる。
 
■キリコ祭りの伝統
 キリコ祭りとは、キリコが神輿のお供をしてろうそくなどで道中を照らし、神様をお守りしながら漂い乱舞する祭りと考えられている。その特徴は、夜間に行われる宵祭りにキリコが神社に集結し御発の式典を済ませた後に、神輿に従って夜を通して町内を練り歩き、海辺や河岸に設けられた御旅所(神の休憩場所)に向かい、そこで柱松明炎上の祭典を神に対して奉仕することである。祭りの多くは7月初旬から9月中旬まで、長期間にわたって能登の各地で開催される。他の地域では見られない独特の雰囲気を持った伝統的行事である。同じ夏祭りの祈りとしての象徴であるキリコでも、地域ごとに個性ある魅力的な祭りとして受け継がれている。
 主な大きな祭りは、その名の通りキリコや神輿が大暴れする「あばれ祭り」(能登町宇出津)に始まり、担ぎ手の気迫が感じられる「石崎奉燈祭り」(七尾市石崎町)、キリコの数が一番多い「八朔祭り」(輪島市富来地区)、キリコが海に入る「沖波大漁祭り」(穴水町)、華麗な輪島塗のキリコが林立する「輪島大祭」(輪島市)、キリコ、担ぎ手が華やかな色彩に身を包んだ「蛸島キリコ祭り」(珠洲市)などがあり、この他にも様々なキリコ祭りが各地で開かれる。

■キリコ祭りの観光利用
 キリコ祭りには全国から観光客が見物に訪れる。特に「あばれ祭り」、「石崎奉燈祭り」、「飯田燈篭祭」(珠洲市飯田町)、「宝立七夕キリコ祭り」(珠洲市宝立町)、「輪島大祭」は観客動員数の上位5つで、団体旅行のツアーなどに組込まれることも多い。この他にも「八朔祭り」、「沖波大漁祭り」の人気も高い。石川県が2006年4月に応募により選定した県内観光資源100選の「いしかわのベストビュー100」にも、能登共通の資源として「能登のキリコ祭り」が選ばれている。しかしながら、最近の奥能登地域では過疎化や少子高齢化が進んでおり、伝統文化の伝承が問題視されていることから、この問題を解消するために外部からキリコ担ぎの体験参加者を募り、都市との交流を図ることで伝統継承を検証しているところもある。
 
 以上、キリコ祭りの歴史と伝統、観光観光利用について紹介しました。参照した以下のサイトも是非ご覧ください。
『夏の能登を代表する風物詩「キリコ祭り」』
http://www.hot-ishikawa.jp/page/kiriko/miryoku.html
『能登キリコネットワーク』 http://www.notokiriko.jp/rekishi.html
(田崎里枝)
 
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