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のとだより
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学生プロジェクト

能登はやさしや 塩の道


 3.塩は地球からの贈り物
 

能登エコ・スタジアム2008のハイライトは珠洲市仁江(にえ)海岸にある「道の駅・すず塩田村」での揚げ浜塩田体験です。シリーズの2回目では、中居鋳物と能登の塩づくりの歴史について触れましたが、今回は天然塩づくりの実践編です。

「揚げ浜塩田」という言葉は教科書で目にして知っている人も多いと思いますが、実際に体験した人ってそんなにいないと思います。14時から17時までたっぷり3時間の作業です。旅の思い出にこれは是非やってみるべきと張り切って挑戦しました。

 
塩田で作業をする前に、塩田村の指導員の方からオリエンテーションを受けました。
作業の流れは(1)海水を染み込ませた砂を集め、かん水(濃い海水)作り(2)磯からの海水運び、砂にまく。(1)と(2)の繰り返しでさらに濃度の濃いかん水をつくります。
さっそく塩田に入ります。もちろん素足です。
すでに前日に係の方が塩水をかけておいてくれた砂が広がっていました。砂の模様が網目になっていましたが、これは太陽の光を効率よく受けるために、波を打たせているとの説明を聞きました。
その砂を中央に集めるという作業をしました。はだしで歩くと、海岸で歩く砂とは全く違い、ぱりぱりしているのです。濃い塩を含んでいる砂ですので、板のような感じでした。

 
次に、集めた塩を含んだ砂を箱の中へ入れます。これが結構大変です。
スコップでもなく、スキでもなく、全くへりがないヘラ状の道具を使います。すくい上げても漏れてしまうのです。もう少し縁(へり)を作り、効率のよい道具を使ったらよいのではないかと思いました。
その辺りを指導の方に聞くと、それだとすぐに腰を痛めてしまうので、プロには向かないのだそうです。逆にプロはそんなにこぼさないのです。フラットな板一枚だけれども、うまく砂を持ち上げて運ぶのです。
「素人は道具のせいにする。しかしプロは技を学ぶ」と教わりました。深いですね。

 
それから、塩田近くの浜へ下りて、木桶に水をくみ、また塩田まで上がってくるのです。
これがまた大変な作業で、最初は面白半分で少しやってみたのですが、時間が経過するにつれて、息が切れる、太陽の日差し、慣れない肩使いのせいで、じんわりと疲労が襲ってきます。大変だなとつくづく感じました。
塩分を含んだ砂を全部回収した後は、次の日に備えて、今度は先ほど汲み上げてきた海水を均等にまきます。これもまた大変で、ざぶっとかけてみたり、全然飛ばなかったり、後ろで見ている人にかけてしまったり、それだけ熟練のいる作業です。単純に見えるのですが、難しかったですね。
最後に塩をつくるところを見学しました。海水の7倍か、もっと塩分を含んで茶色く濁っている海水を最後に大きな塩釜で煮詰めるのです。その釜は先に能登中居鋳物館で見た、あの大きな塩釜です。
下は炉ですが、煙突がありません。薪(まき)をくべる入り口だけがあって煙突がないので、くべる人は大変なのです。熱いだけでなく、煙い。
なぜ煙突をつけるなど改良しないのかと質問をした人がいました。指導員の方はこう説明されました。「ここには伝統の知恵があります」と。実は、塩を煮詰める作業場は茅葺(かやぶき)屋根の小屋。煙で小屋全体を燻(いぶ)すことで、虫が小屋に入ることを防いだり、屋根の腐食を防ぎ耐久性を高めたりとさまざまな効果があるのです。目からウロコでした。
出来上がった天然塩をちょっとなめてみました。味のある塩です。本当の塩。海を眺めながら、「塩は地球からの贈り物」、そんなことを感じました。

 
ところでなぜ「揚げ浜塩田」というかと。
塩をつくる場合、瀬戸内海では潮の干満が大きいので、満潮時に広い塩田に海水を取り込み、引き潮になればその水門を閉めればいいわけです。ところが、日本海は潮の干満がほとんどないため、満潮とともに海水が自然に塩田に入ってくることはありません。
そこで、浜から塩田まですべて人力で海水を汲んで引き上げるのです。揚げ浜というのは、そういう意味合いの名前だそうです。

塩田村での体験を終え、夕方に輪島市曽々木海岸の民宿で泊まりました。岩に窓が開いたような、「窓岩」がある海岸です。
窓岩近くに俳人・沢木欣一の句碑がありました。
「塩田に 百日筋目 つけ通し」
黙々と塩づくりに励む能登の人たちの姿が目に浮かびました。
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